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【暮らし】

交通犠牲者 なくそう 18日はワールドデイ

ワールドデイの前後には、広場の入り口に黄色い風車をつけ、遺族の思いを伝える阪口さん=愛知県で

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 十八日は「世界道路交通犠牲者の日(ワールドデイ)」。毎年十一月の第三日曜日に、交通事故で亡くなった人を遺族らが悼み、犠牲者をなくす活動を全国一斉に繰り広げている。各地の遺族の会を結ぶ組織も検討されており、同日、設立に向けたフォーラムが東京で開かれる。 (吉田瑠里)

 ワールドデイは一九九三年、英国の交通被害者団体「ロードピース」が、犠牲者を追悼する会を開いたのが始まり。欧州に広がり、二〇〇五年に国連が十一月の第三日曜日と決議した。日本では〇七年から、「TAV交通死被害者の会」(大阪府)が、この日に街頭での啓発や、事故現場に黄色い風車を供える運動を展開。他の遺族会も各地で啓発活動をするなど続いた。

 ただ、九一年から多くの交通遺族を支えてきた「全国交通事故遺族の会」(東京都)が「一定の役割を果たした」などとして年内の解散を決定。一方で各地で活動する被害者の会に連携を図る機運が生じてきた。

 千葉商科大政策情報学部教授の小栗幸夫さん(65)と遺族の佐藤清志さん(48)=東京都品川区=が発起人となり、十八日に東京で交通死傷ゼロへの行動と、組織の設立を話し合う「東京フォーラム」を企画。十団体以上が協賛する。東日本大震災で幼稚園の送迎バスが津波にのまれ、亡くなった園児の遺族も加わる。

 出身地の岐阜県で姉を交通事故で亡くした小栗さんは、車優先ではなく、人に優しい街づくりを提唱する。佐藤さんは〇三年、六歳の長女を事故で失い、全国遺族の会に入った。

 「昭和四十五年以降、交通事故死ゼロだった日は一日もない。毎日、どこかで誰かが亡くなっていることをこの日に思い起こしてほしい」と佐藤さん。小栗さんは「同じ目的だからつながれる。十一月の第三日曜といえば『交通犠牲者の日』と、皆が認識する日にしていきたい」と話す。

 十七日午後五時半から、東京都港区の芝公園で追悼のキャンドルナイトを行う。十八日は午後一時から、東京都中央区、銀座フェニックスプラザでフォーラム。一般入場可。問い合わせは小栗さん=電090(8744)7511。

◆家族失った阪口さん夫婦 「思い」を伝え続ける

 愛知県弥富市の阪口玲香さん(37)は二〇〇二年八月、三重県鈴鹿市の東名阪自動車道で起きた玉突き追突事故で、母(53)と弟(19)、長男の若葉君(6つ)=いずれも当時=を一度に失った。大型トレーラーの運転手の居眠りが原因だった。

 三人は、二歳の長女と一歳の次男を連れ、後発する予定だった阪口さんより一足先に、三重県内の母親の実家に帰省途中だった。「下の子と年が離れていたから頼りにしていた。もっと甘えたかっただろうな…」。阪口さんは在りし日の若葉君に思いを巡らせる。

 一昨年、夫の幸広さん(41)と、事故の賠償金で自宅向かいの休耕田約百五十平方メートルを購入、「みんなのあそびば」と名付けた広場を設けた。安心してボール遊びもできるようにと、四方をフェンスで囲んだ。入り口に掲げた広場の名は、若葉君が生前に記した文字を拾い、鉄でかたどった。広場は今、近所の子らが集う場になっている。

 事故後、阪口さんはTAV交通死被害者の会に入会。〇七年から毎年、ワールドデイに名古屋市中区の久屋大通公園で東海地方の遺族らとチラシを配り、事故防止を訴える。「広場は形に残るし、ワールドデイでは交通事故で大切な家族を亡くした気持ちを、一人でも多くの人に伝え続けたい。思いを共有すれば、被害者にも加害者にもなる可能性が減ると信じています」

<メモ> 警察庁によると、2011年の交通事故死者は4612人。ピーク時(1970年)の3割以下まで減少した。事故発生件数、負傷者数は2004年が過去最悪で、昨年は69万1937件、85万4493人。

 

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